
母の在宅介護を5年間経験した海野ゆきです。
今日は重たい話題となってます。
追い詰められるように決めたあの日と、その後のこと
要介護5の母を在宅介護してきた私が、在宅介護を終えてからも経験したこと、感じたことを正直に書いていこうと思います。
今回は、ずっと心の奥にしまってきたこと。母の気管切開を決めたときのことです。
有料老人ホームから「もう診られません」と言われた日
母はもともと、医師と看護師が常駐している有料老人ホームに入居していました。
在宅介護を続けてきた私にとって、母を施設に預けることは本当に苦しい決断でした。それでも「ここなら安心できる」と思って選んだ場所でした。
ところがある日、施設から呼ばれました。
「お母さんの痰がひどくて、いつ何が起きてもおかしくない状態です。施設で対応できる範囲を超えています。病院に移っていただけますか」
言葉が出ませんでした。
医師や看護師がいる施設でも、もう支えきれないと言われてしまった現実に、ただただ戸惑うしかありませんでした。
そうこうしているうちに、また誤嚥性肺炎となり急性期病院へ救急搬送となりました。
つらかった医師との面談
急性期病院で担当になった医師との面談は、今でも強く記憶に残っています。
「あなたは肺炎になったことがありますか?どんなに苦しいかわかりますか?」
そんな言葉から始まりました。
緩和ケアという選択肢も含めた説明だったのだと思います。
ただ私には、その場で「治療していく方向」というよりも、「苦しみをどう減らすか」という話が中心に進んでいくように感じられました。
インフォームドコンセントという言葉が頭の中でぐるぐるしていました。
本来は、家族と患者が納得して選ぶための説明のはずなのに、すでに結論があるような、そんな感覚がありました。
そして医師はこう言いました。
「いつ窒息するかわかりません。それを防ぐには気管切開しかありません」
その言葉に圧されるように決めた手術
「窒息するかもしれない」
その言葉の重さは、想像以上でした。
頭が真っ白になって、冷静に考える余裕はほとんどありませんでした。
ただ一つだけ、「母に生きてほしい」「苦しい思いをしてほしくない」「窒息だけは避けたい」という気持ちだけが強くあって、その場でケアマネにも相談し、気管切開を決めてしまいました。
今思えば、立ち止まって考える時間はもっとあったのかもしれません。
セカンドオピニオンという選択肢もあったはず。
それでもあのときの私は、「窒息」という文字が恐ろしくて、とても冷静に判断できる状態ではありませんでした。
後から知ったもうひとつの考え方
手術後、少し落ち着いてから、かかりつけのクリニックの先生に相談しました。
そのとき先生は、
「気管切開をしないことで、必ず窒息を防げるわけではありません。病院側として管理しやすいという理由が背景にある場合もあります」
その言葉が、ずっと心に残っています。
あのときの判断は、本当に母のためだけだったのか。
それとも、他の事情も重なっていたのか。
今でも答えは出ていません。
手術後に感じた罪悪感
手術後の母の首元を見たとき、胸が締め付けられました。
苦しさを減らしたかっただけなのに、母の体にこんな傷を残してしまったのかと思いました。
そこからしばらく、母に会いに行くことがつらくなりました。
「母のため」と心の中で何度も言いながらも、自分を責めていました。
転院のときに言われた言葉
その後、母は療養病院へ転院することになりました。
担当医との最後の診察で、こう言われました。
「お母さんですが、まったく良くなりませんでしたよ」
少し笑ったような表情で言われました。
もう言葉が出ませんでした。
ただ、その瞬間に強い違和感と怒りのような感情が湧いたのを覚えています。
その後、落ち着いた母
あれから2年が経ちました。
気管切開をした直後は、これでよかったのかどうか何度も考えました。
でも少しずつ、痰の管理がしやすくなり、母の苦しそうな様子も以前より落ち着いていきました。
今は療養病院で穏やかに過ごしています。
あの決断が正しかったのかどうか、今でも完全な答えは出ていません。
それでも母は今日も生きています。
それが今の私にとっての、ひとつの事実です。
介護の決断に正解はない
介護の現場には、はっきりとした正解がない場面がたくさんあります。
どんな選択をしても、「あのとき違う選択をしていたら」と思ってしまうことはあると思います。
同じように悩みながら、大切な人のそばにいる人に、この記録が届いたらいいなと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました!





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